ブログ記事の整理をしていて「下書き」のままになっていたものを発見。3年ほど前に書いた亡きペットの記事でした。
当時、何故にしっかり書き上げて公開にしなかったのか……
自分のことながら謎ですが、ちょうど時期も同じなのでその記事に寄り添いながら振り返っていこうと思います。
あれから6年かー……

チー子との別れ
実家で飼っていたボストンテリアのチーちゃん
本当の名前は「チーズ」
でも呼ぶのは「チーちゃん」
体調を崩してからは少しでも耳に届いてほしくて「チー子」と呼ぶことも
6年前の今日、チーちゃんは旅立った
夜中だったのかな
母が気づいたときには、もう息をしていなかったらしい
“なんでやねんっ”という気持ちもあった
調子悪いって言ってたのに…なんで付いててあげんかったのか…
でもそれよりも自分のことも責めた
付いててあげれたんじゃないか…行ってあげれたんじゃないか…
ごめん
「楽になったんだ」と言い聞かせる
病気がわかってから約1年
少しずつ、そして確実に、チーちゃんは辛そうな時間が増えていった
亡くなる少し前は本当にかわいそうだった
だからというわけではないが
辛さから解放されたんだよね
もう痛くないんだよね
などとチーちゃんに言ってんのか、自分に言い聞かせてんのか分からないがずっと心の中で思っていた
私たち夫婦のほうがペットロス
実際に飼っていた実家の両親よりも、私たち夫婦のほうが強くペットロスの状態になっていた
ふとした瞬間に涙が出たり、チーちゃんの写真を前に2人でお酒を飲んでいた
時間が経てば忘れる…なんてことは1ミリもなく
ただ、悲しみの形が変わっていくだけだった
6年経った今の気持ち
あれから6年
泣けて泣けてどうしようもない!!
ということはなくなったけれど、ふと寂しくなることはもちろん今でもある
チーちゃん、幸せだったかな
あっちで元気にやってるかな
相変わらず、他の子の尻(ケツ)ばっかり追いかけて嫌われてないかな
実家出身の旅立ち組と仲良くできてるかな…(しつこくして嫌われてそうだけど大丈夫だろうか…)
そんなことを、時々考えます
毒親育ちの私にとってペットは特別
改めて育った環境を振り返る
チーちゃんだけではなく、一緒に生活していたペットたちみんな。私にとってかけがえの無い存在でしたね〜
トゲトゲとした空気が蔓延する家庭の中で、あの子たちにどれだけ助けられたか
初めて飼ったニャンコのミルキーも賢い子でしたわ〜
辛いことがあればスッとそばに来てくれる
みんな(全員とは言わないが)守ってくれてたんだと思います
ありがとーーー
ペットも毒親育ち?
ワタシは忘れない
父がまとわりつくチーちゃんを蹴ったこと
咄嗟に怒鳴ったワタシに父は「俺は足が不自由なんだ」と怒鳴り返してきた
足が悪いのに蹴るとは何事だ!?と怒り心頭だった
ただ、言い返しても炎上するだけなのでそのときはチー子を抱きしめて終わった
実家のペットたちの何人かは飼い主ガチャに外れてしまったのかもしれない
申し訳ない気持ちでいっぱいだ
ワタシも君たちも被害者だね
胸を張って再会出来るように


「今日という日は、あの子が生きたかった今日」
いつだか聞いた言葉で、確かにそうだなと思いとても印象に残っています
(※一語一句あっているわけではない)
いつかまた会えたときに笑って話せるように
「あの後ね、こんなことがあってあんなことがあって、こうでねああでね……」
良いこと楽しいことをたくさん報告したい
「私は私の人生を頑張ったよ!」って報告したい
今日も、これからも、しっかり生きていこう
最後に:ニンマリしちゃうこと

最近、街でボストンテリアやフレンチブルドッグを見かけると、思わずニンマリしてしまいます
以前は“チー子がいない”という寂しさが勝ち、無性に会いたくなって涙がこぼれそうになることも多々ありましたが
今は“あ、ボステリだ!可愛い〜!チー子より小柄やな〜”などと温かい気持ちになれます
生まれ変わったあの子が、世界のどこかで今度は優しい家族に囲まれて、お腹を出して撫で回されて、めっちゃ可愛がられて過ごしている
それがワタシの唯一の願い♪
それでは、今日のところはこんな感じ
おわりっ


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